怖イ話 意味怖 短編

人間の鎌

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 電柱の近くにマスクを着けた少女がいた。咲だった。死んだ妻譲りの黒い髪をなびかせ、何も言わずじっと前を見ている。近付いてみたが、反応はない。
「さっちゃん」
話しかけても、言葉は風に紛れて掻き消えてしまう。仕方がないので、黙って咲の横に立つ。
 強く風が吹いている。雨はない。薄曇りの白い空から、透明な流動が吹きすさび、静寂を切り裂いては通り過ぎていく。
 剃刀のように鋭い、冷たい風だ。そう思っていると、指にあかぎれができていた。まるで鎌鼬だ。風と共に通り過ぎ、血の出ない切り傷を付けていく鎌鼬。
 ああ、あれも鎌鼬のようだったな。少なくとも、私にとっては。
 咲にとっては、違ったのだろうが。
 一か月前のことを思い出す。病院。苦しげな顔の医者。その時、咲はいなかった。彼女は手術を終え、深い眠りについていた。顔を縫う手術だ。大けがを負っていたのだ。
 左頬が、大きく裂けていた。
「一生、傷は残るでしょう」
 医者はそう言った。呆然とする私に対し、彼は「それから、一つお父様にお聞きしたいことが」と続けた。
「お父様は、咲さんの体の傷について、どこまで知っておられますか」
 私は沈黙した。その問いの意味を掴みあぐねた。口の傷のことか。そんな疑問に、医者は答えた。
「咲さんは、手足やお腹に打撲の痕があります。ここ最近のものから、古いものまで」
 丁度、服で隠れるようなところに。
 家には、娘のほかに私しかいない。そして、私は彼女をぶったことなど一度もない。
 であれば、その傷は。
 退院後、それまで以上に口数の少なくなった咲に、私は聞いた。出来る限りオブラートに、相手を傷付けないように、不器用ながらも細心の注意を払って、頬が裂けた理由を尋ねた。
 咲は少し無言でいた後、数人のクラスメイトの名前を出した。だが、それからしばらく黙って、「その子達と遊んでいたら、不注意で転んでしまって、口を切った」と言った。嘘だと思った。医者はあの傷を、鋭い刃物で切られたものだと言っていた。とても、転んで出来る傷ではなかった。
咲はそれきり、押し黙ってしまった。私は、それ以上聞くのはやめた。今はまだ、事が起こってからの日が短い。無理に聞いても、傷口を抉ってしまうかもしれない。もう少しすれば、彼女も重い口を開いてくれるだろうと思った。
 だが、咲はそれから一週間後、自ら命を絶った。
 電柱の近くに、マスクをした咲がいる。彼女は私に目を向けることなく、じっと前を見ている。そこには生前通っていた高校が建っている。私がクラスメイトの名前を出し、どれだけ問いただしても、事の真相について口を噤んでいた高校。
「さっちゃん」
 もう一度、呟く。咲は何も言わない。私に対して、愛想を尽かしたのだろう。一人娘の置かれた状況に気づかず、救い出すことも叶わなかった無力な父親だから。
 ごめんね、さっちゃん。お父さん、分からなかったんだ。あいつらは鎌鼬みたいに、切り裂いてから血止め薬を塗るみたいに、誰にも気づかれないよう傷を付けていたから。だからお父さんは、さっちゃんの口が裂けて血が溢れるまで、何も分からずぼんやりとしていたんだ。
 許されないことだ。取り返しのつかないことだ。
 だから、せめて。
 咲は何も言わず、学校を見ている。そこから、数人の女子生徒が出てきた。あの日、名前を出したクラスメイト達だった。咲は彼女たちを見つめている。
怯えるような眼で。
 私は咲の前に、背を向けて立った。懐に手を忍ばせた。固い柄を掴んだ。
 ゆっくりと、鎌を取り出した。
 風が吹いている。刃のような鋭い風だ。しかし、それだけだ。それが人間を八つ裂きにすることなどない。
鎌鼬などいない。鎌鼬など怖くはない。鎌鼬には何もできない。
 いるのは、怖いのは、何かをなすのは、いつだって。
いつだって、人間なのだ。
私はゆっくりと歩き出した。

投稿者:シモゴエ(Twitter/ブログ

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